鼓楼と鐘楼
明代の永楽年間(1420年)に建てられた鼓楼と鐘楼は、北京の街に時を告げるものだった。昔は水時計で時をはかり、この太鼓と鐘で時を告げていた。夜7時から2時間に1度5回太鼓を叩き、朝になるとそれは鐘に変わったそうだ。しかし、およそ百年前から、太鼓と鐘の音で北京の街に時を告げることがなくなった。
現在、太鼓を叩く鼓楼の楼閣を見学可。まるで天まで登れてしまいそうな急な木造の階段は73段あり、上がりきると、25個の大きな太鼓が並んでいる。が、昔から残ってきた太鼓は、ただ1個。それも1900年、義和団事件の際8カ国連合軍の襲撃にあい、日本軍の日本刀で切り裂かれたそうだ。ここからは市街地と周りに広がる胡同の古い家並みが一望できます。
鐘楼は鼓楼の北200メートルのところにあり、鼓楼より2メートル高い。楼閣に下げられた大きな鉄製の鐘は高さ4・5メートル、直径3・4メートル、重さ42トン。ここも登楼見学可。
胡同
平屋の集落で形成した古き好き町並み。元・明・清の三代の王朝に築かれ、再開発が始まる前の北京は概ねこうした胡同で形成されていた。故宮から遠い庶民の住む胡同は建て増しが続いたため並びも雑多で、その配列に規則性は見出しにくいが、故宮に近い皇族の邸宅が集中する地域の胡同は南向きに道に沿って東西に整然と並んでいる。
今も胡同は米市胡同、米糧庫胡同、肉市街、豆腐池胡同などの名前で呼ばれているが、これはその胡同にあった施設や住民の職業にちなんだもので、これを見れば昔の北京の経済構造を知ることができる。
改革開放の波は古都・北京の街並みを洗い流し、今では多くの胡同が高層ビルに姿を変え、住民もマンションへと住まいを移しているが、現在も北京人口の3分の1がここに暮らしている。胡同は無用の古民家ではなく、現在も北京市民の生活に深い係わりを持つ北京の財産である。
什刹海周辺の胡同は、北京に残る胡同の中でも最も美しく、保存状態も良好である。什刹海の胡同めぐりに参加すれば、北京の伝統的な文化を理解できるだけでなく、北京の庶民の生活を目の当たりにすることができるだろう。晴れた日、運河に架かる銀錠橋からの什刹海の眺めは気持ちいい。岸辺の柳が風に揺れ、人々が釣り糸を垂れる水面には青い空が映る。他の観光地と違い、什刹海に憩う市民と気軽に触れ合うことができる。夏には、近所の胡同から夕涼みにやってきた人たちが多い。また、この界隈には王族の邸宅のほか、史跡、寺院、歴史人物の旧居も多い。
最近、輪タクで胡同をめぐる観光コースが、外国人だけでなく中国人の間でも人気になっている。レンガ造りの平屋が建ち並ぶ胡同と呼ばれる迷路のような路地を観光するには、地元の人々の日常生活を垣間見ることができる。少しでも古い中国を見たいなら、今のうちがおススメです。
昼間は輪タクで胡同や皇族の旧邸宅などを回り、夜に提灯を点した舟にゆられながら、古い街並みを眺めるのも格別だ。舟に同乗する娘さんが奏でる民間楽器の演奏に耳を傾け、昼間渡った銀錠橋をくぐって、什刹海を一周するのも十分楽しめる。
四合院
清時代の大金持ちや高官などが豪華な邸宅を造る際、よく採用する建築様式であった。中庭を囲むように東西南北にそれぞれ棟が配置されていることからこう呼ばれている。その建築様式は左右対称が基本で、社会的地位によって軒の高さ、広さが細かく制限されていた。高位高官や富豪の四合院は広々とし、柱や外廊下、軒に絵や彫刻が施された華美なもので、主の住む四合院の前後に別棟を備えるものも多かった。それに比べ、庶民が住んだ四合院は構造が単純で、門は狭く軒も低いものであった。ぎっしり並んでいる四合院の間にできた大小さまざまな通路が胡同である。
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